栗原はるみのミルクのある生活 栗原はるみのミルクのある生活

栗原はるみ プロフィール

料理やお菓子のアイデアあふれるレシピの数々が「おいしくて、簡単で、おしゃれ!」と幅広い層から絶大な支持を得ている人気の料理家。日々の暮らしを楽しむコツやライフスタイルも提案している。また、オリジナルの食器、キッチン雑貨、エプロン、ウェアなどをプロデュースし、生活雑貨ショップ「share with Kurihara harumi」やカフェ・レストラン「ゆとりの空間」を全国主要百貨店などで展開中。

2004年からアドバイザーとして、大ヒット商品のデザート「栗原さんちのおすそわけ」のプロデュースをはじめ、Webサイトに年6回、「栗原はるみのミルクレシピ」を掲載している。

大ベストセラーとなっている『ごちそうさまが、ききたくて。』「もう一度、ごちそうさまがききたくて。」(文化出版局・刊)をはじめ、これまで送り出した著書は140冊を超え、3,100万部を発行。1996年創刊のパーソナルマガジン『haru_mi』(扶桑社)は、2021年9月に25周年、通算100号を迎え休刊。2022年3月、講談社より新たなパーソナルマガジン『栗原はるみ』を創刊。

現在はNHK Eテレ「きょうの料理」でレギュラーを務めるほか、NHKワールドテレビ「Your Japanese Kitchen」で世界に向け、日本の家庭料理を発信している。

栗原はるみオフィシャルサイト 「栗原さんちのおすそわけ」スペシャルサイト

Harumi Story 料理家・栗原はるみストーリー Harumi Story 料理家・栗原はるみストーリー

1. 料理家としてスタートした頃 1. 料理家としてスタートした頃

スタートは今から20年ほど前。雑誌の料理のページでした。ふだんのわが家のおもてなし料理を紹介したり、あるときはおすしで4品とか、野菜のおかずで 10品とか、依頼されたテーマに応じて料理を考え、作る仕事です。最初の頃は、きんぴらのごぼうも細くきれいに切らなければならないと思いこんでいました。今ならもっとラフに、ちょっと太めにも切れるんですが、当時はそんな余裕もありません。撮影に慣れなくて、ベテラン料理カメラマンのAさんに「このお皿はどこまで料理を盛るときれいに見えますか」と聞いたこともあります。レンズをのぞいて位置を決めた彼は、親切にいちばんバランスよく見える盛り方を教えてくれました。今でもAさんとお仕事でご一緒するとあの頃の話が出て、懐かしい思いがします。

2. こどものおべんとう作りから学んだこと 2. こどものおべんとう作りから学んだこと

2人のこどもがおべんとう持ちだった10年間。毎日早起きして続けるうちに私なりの小さなこだわりや工夫が生まれました。例えば夕食がフライの日は、同じ手間ですからおべんとう用の豚肉やエビにも衣をまぶして冷凍します。こういうストックがいくつかあると、時間のない朝も安心でした。冷蔵庫に少しだけ残っているハムやベーコン、野菜などを上手に使いきる工夫は、この頃のおかげです。毎日のごはんもおべんとうも暮らしの中では連続です。限られた時間の中で家族が喜ぶものを作りたい。と同時に、毎日続けていくにはがんばりすぎないことも大事。それに気づき、だんだん肩の力が抜けてくると余裕も生まれ、シンプルでさらにおいしいメニューも浮かんできます。

3. たれ・ソースの栗原と呼ばれて 3. たれ・ソースの栗原と呼ばれて

使い勝手のいいたれやソースが日々の味方になることを暮らしの中で教えてくれたのは実家の母でした。今でも私の基本になっているのは母のめんつゆです。そこから自分なりに展開ができるたれやソースを工夫して、和洋中の料理の枠にこだわらないで使い回せるものや、少人数の家庭でも使い切れるものなど、材料を変えたり、分量や割合を変えたりして、同じ種類でも少しずつ進化しています。私の「たれの本」がはじめて出たのは、24年ほど前ですが、あれから年月を経て、節目のようにたれ・ソースの本を出してきました。「栗原さんのたれ」が冷蔵庫にあると帰宅が遅いときも安心できますといってくださる声をきくと、「たれ・ソースの栗原」として、もっと役立つものに挑戦したくなります。

4. 電子レンジメニューへの挑戦 4. 電子レンジメニューへの挑戦

電子レンジメニューは「おいしくないんじゃない」とか「これくらいだったらいいわ」と、あまり期待されないことも以前はありました。私はその頃、こどもがおべんとう持ちだったので、朝の時間がないときなどに電子レンジをおいしく活用できれば、大助かりする一人。そこで私なりに電子レンジを見直してみようと思い立ちました。それからは何度も何度も試作を繰り返し、加熱時間を細かく決めてレシピにしていく作業です。機種によって多少、違いはありますが、加熱時間の目安がわかるとだれにでもおいしく作れるレンジメニューになるはず。試作のたび、試食するのは家族だったり、スタッフだったり。みんなの協力のおかげでレシピの数も増え、レンジでできるたれ・ソースまで発展していきました。

5. 気軽なおもてなしが好きだから 5. 気軽なおもてなしが好きだから

こどもたちが小さい頃は、お母さん同士ちょっと用事で寄ったときなど、手作りの簡単なクッキーやシフォンケーキなどを焼いておき、お茶でおもてなしをすることがよくありました。これが私にとって気軽なおもてなしのスタートです。夫やこどものともだちが急に来ることもよくあるので、そんなときはある材料でパッと炒めたり、サラダにしたり、冷凍庫にストックしてあるエビカツやひと口カツを揚げたり…。ふだんのごはん作りとほとんど変わりませんが、うちの味でもてなしたいという気持ちがあるので、これも私にとっておもてなしです。もちろん、あらかじめスケジュールを決めてお呼びするおもてなしもありますが、それも堅苦しいことは一切なし。ふだんのうちのおかずをあれこれ並べるスタイルです。家族に好評で、いつも作り慣れているメニューが一番安心ですから。

6. オリジナルデザインの始まり 6. オリジナルデザインの始まり

昔から器が大好きで、料理の仕事を始めた頃は、いただいたお金で好きな作家の和食器を1枚ずつ買うのがとても楽しみでした。京都の陶芸家・荒木義隆さんの器はその頃から大好きで『ごちそうさまが、ききたくて。』(文化出版局刊)の撮影でも、うちで使っている荒木さんの器がたびたび登場し、たくさん反響をいただきました。その後パーソナルマガジン『栗原はるみ すてきレシピ』(扶桑社刊)創刊まもない頃、現在の家に引っ越したのをきっかけにインテリアやふだん使いの器を思い切ってすべて白に変えました。私の中でここからまたスタート、という気持ちが白に結びついたのだと思います。この頃から次第にこういう器があったら楽しい!という思いも大きくなり、荒木さんをはじめ、知り合いの陶芸家やメーカーに私のアイデアを伝えてオリジナルの器をお願いするようになりました。エプロンやTシャツは以前から仲良しの橋本幸子さんと作っていましたが、まわりから作り方を聞かれることがたび重なり、雑誌で紹介するようにもなりました。そんな器好き、雑貨好きが高じて『ゆとりの空間』やショップ『share with Kurihara harumi』のプロデュースにかかわるようになったのです。(了)

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