牧場通信

京都 谷牧場

牧場名 谷牧場
所在地 京都府 南丹市八木町
開設 昭和18年
規模 年間出荷乳量  平成21年度 912t
飼料畑
牛の頭数 経産牛 100頭
未経産牛 15頭(全て北海道育成牧場へ)
牛舎 フリーストール 酪農教育ファーム認証牧場

谷牧場のある八木町は、京都市の西隣に位置している南丹市にあります。 京都駅からJR嵯峨野線に揺られておよそ40分。田んぼや、みずな、京野菜の畑などが広がる自然豊かなところです。
この地域には、雪印メグミルクの京都工場や、谷牧場と道路一本を隔てた真ん前には雪印メグミルクの京都工場池上製造所があります。 工場との酪農体験イベントにもご協力頂いています。
中央酪農会議の酪農ファーム認証も取得されています。

ご両親とともに、「地域でも価値のある牧場で、楽農を」目指す、3代目の若き酪農家、谷 学(32)さんと、啓司さん(58)、幸(みゆき)さん(58)のお話を、伺いました。

谷牧場の目の前にある雪印メグミルク京都工場池上製造所

堅実な仕事は酪農!

父・啓司さん(58)

谷家は、曽祖父が材木商をされていましたが、お祖父さん曰く「株や相場、パチンコなどは“不良や”、商売は嫌いや」と言って、住んでいたこの八木町で、稲作と牛3頭の酪農を始められました。
2町あった畑は稲作が中心。牛は、畑の肥料や荷役として活用するために、牛乳は副産物として考えておられたようです。

「貨幣価値が下がった時も堅実な農業が勝ちや、とじいさんは言っていた。お米や牛乳は物々交換出来る。」と。
長男だった、父・啓司さんは、酪農関係の高校を卒業後、家業の酪農を継ぎ、牛8頭から32頭に増やしてもらい、1町6反の土地で稲作もしてきました。

南丹市には多い時には、90軒の酪農家がいたそうですが、現在は20軒。
地域的にはとても酪農が盛んなところでした。

学(32)さんも、長男だし、将来は酪農を継ぐだろうと思っていましたが、大学まで特に酪農を専攻しませんでした。
2年後に、集落内の基盤整備に伴う換地が実施されて、牛舎の移転が決まっていたことから、それまでは社会へ出て働くことを、母・幸さんに強く進められ、電気関係の会社に就職し、営業をしていました。
「酪農以外の仕事に就いて、いろいろ社会のことを知るのも大切なことだから」と幸さん。
この時の経験が、飼料会社や設備会社などの営業マンとのお付き合いの仕方にとても役立っているそうです。

「子供の頃、家に帰ると親がいて仕事の合間に遊んでくれるのが嬉しかった。 僕も子供と一緒に遊びたいと思って、家でできる仕事がいいと思っていた。 同じ利益なら牛(酪農)じゃなくてもいいと思ってはいたけど、2年サラリーマンを経験して、結局、家業を手伝うことに」と学さん。

新しい牛舎で

更にこの時期に、八木バイオエコロジー(堆肥)センターや雪印メグミルク京都工場池上製造所、JA西日本くみあい飼料が次々と設立され、最高の酪農環境が揃いました。
平成14年に基盤整備の換地で、牛舎移転、新築。学さんは1年間の酪農実習を経て牛も85頭に増やし、親子3人での酪農経営が始まりました。

学さん 母・幸さん 父・啓司さん

「牛舎の移転は、新車が納車されるのと同じ。新しい便利な機械などが導入されて嬉しかったんで、特に苦労を感じなかったな。」

「この新しい牛舎は、壁がなくて通気がいいので、天井に扇風機をつけると牛舎が一番涼しいくらい。夏バテもあまりしないね。よく冬は雪が降ってもそのままだから、牛は寒くないの?と聞かれるけど、牛は寒い地方の動物なので全然平気。」と学さん。

移転後に大幅に大きくした牛舎内では、経産牛が中心。
育成牛(生後6ヶ月令)は北海道の育成牧場へ送り、妊娠2ヶ月で戻す方式に。

「自家繁殖が一番いい。ホルスタインの種付けしている。北海道産は形がいいけれど、乳量が出ない。ET(受精卵を移植する)もしている。」
繁殖担当の学さんの手腕が問われる部分です。

壁が大きく開いた開放的な牛舎

子牛達

家族協定

酪農は生き物の牛が相手ですから、365日休むことなく牛の世話をして乳を搾らなければなりません。

谷牧場は、八木町で初の家族協定を結び、給料制を導入しました。これにより、家族の仕事の分担と責任が明確になりました。

啓司さん:餌作り、搾乳、牛の健康管理
幸さん:経理、搾乳中心、酪農ファーム受付事務
学さん:哺乳、繁殖、糞尿処理、搾乳、酪農ファーム準備等
谷牧場の毎日の仕事は、こんな感じです

6時前 啓司さんが朝の餌作りを開始
7時前 学さんが搾乳準備開始
牛を8頭ダブルミルキングパーラー(一度に16頭搾乳できる搾乳施設)へ追い込み、空いた牛舎の掃除と敷き料(おが屑)を敷く
15分ほど両親が事務室で朝ごはん、学さんはコーヒーのみ
7:10〜9:00 搾乳
幸さんは30分早めに切り上げ家事へ
その後1時間位、学さん:子牛の哺乳、啓司さん:パーラーの洗浄
学さん:糞尿を八木バイオエコロジセンターへ運搬
16:30 啓司さんが夜の餌作り開始
17:15〜18:00 休憩(タバコタイム)
18:00〜20:00 搾乳
21:00 家で晩御飯のち就寝

「この位(100頭位)だと家族経営が基本。人は雇えない。だから家族関係が大切」と学さんは言います。

朝はどうしても3人、夜は2人必要で、牛は決まった時間に搾乳することも大事なことですから休めません。お休みをどう確保するのか。どの酪農家さんも切実な問題です。

啓司さんは酪農部会長などで多忙だし、幸さんも”氷室の郷”へ週2回はパンやソーセージの製造へ、学さんも趣味のゴルフや家族サービスのためにも、朝と晩を一日単位とした有料の酪農ヘルパーを月に2〜3回利用することで、気持ちにも余裕ができます。
「元々、中学や高校生の頃から、学や正人(学さんの弟)は家の手伝いをしてくれて、『今日は休みなよ』とお休み出来るようにしてくれたんや」と啓司さん。

餌作りのTMRカッター

敷き料用のおが屑

今も正人さんが時々手伝いに来てくれるのでとても助かっているそうです。取材の日も、正人さん家族が遊びに来ました。
「お父さんは、せっかく休むためのヘルパーなのに気をつかって、早く戻ってくると働いてしまう。ヘルパーをヘルパー(助けて)してしまうんです(笑)。」と幸さん。

現在、稲作は、家族が食べる分だけで、後は貸しているそうですが、田植えと稲刈りは、お嫁さんも子供も一緒の家族総出のイベントとして楽しんでいるそうです。

地域で価値のある牧場で、楽しい酪農「楽農」とは…

3Kといえば、『危険、汚い、きつい』ですが、学さんは『家族、環境、貢献』の新たな3Kを重視した価値のある牧場を目指したいと語ります。

谷牧場の糞尿処理は、全て、近所の八木バイオエコロジセンターへ運んでいます。 でも、受入れ量の問題があり、牛の頭数は増やせません。

「この先、僕はここで50年は酪農をしていく。特に近所にはお産の時の牛の鳴き声やバイオエコロジセンターへの糞尿の運搬で、迷惑をかけている。 近所も含め、地域から「ここに牧場があるから、え〜なぁ」と言われる牧場でありたい。 乳量を増やすよりも、酪農体験を積極的に実施して地域に貢献していきたい。」

平成19年に、中央酪農会議の酪農教育ファーム認証も東京へ何度か研修を受けに行って取得し、年間1000人もの人を受け入れています。

「『くせぇ〜!」と一番騒ぐ子供に限って、帰るまでしつこく乳搾りをしている。『牧場は臭いなぁと思った子は手をあげて』、と言うと半分位は手を上げる。「君達の鼻は正常や(笑)。でもこれが牧場の匂いやで」と言うんですと学さん。

地域の皆さんと楽しむ酪農「楽農」を目指しています。

ペットでもなく、経済動物でもなく…

「牛はペットではないので、僕は経済動物として割り切りが早い方だけど、父は、そこまで世話しなくても…と思うほど面倒を見る。
病気や何かで、もうだめだと思われる牛でも、父は復活させることができる。そうして、今も搾っている牛がいる。
ここまでは大丈夫…という牛を見る目は、まだまだ父にはかなわない。やっぱり父は凄いと思う。
牛は喋らない”従業員達”なので、もっと環境をよくしてやろうとも思う。」と学さん。
まだまだお父さまから学ぶことが多いそうです。

「ずーと飼っていた7、8産した牛が病気になった時、昔は最後を看取ってやった。 酪農体験でやってきた子供達に、私達は牛乳をもらっているだけじゃない。牛の一生を預かっている。それによって、私達の生計も立ててもらっていることを、どうやって伝えらたらいいかな…と思うんです。」と幸さん。
父、啓司さんもあと2年で60歳。ぼちぼち全面的な、経営移譲の時期が近づいているそうです。

「酪農は、がんばれば、がんばっただけの報酬がある。牛は嘘をつかない。もちろん、大変だし、収入が少なくなることもあるが、やればやっただけの結果が出る。お祖父さんが言っていた通り。」と家族3人、力を合わせて、今日もがんばっておられます。

ご家族と弟の正人さん

編集後記

日本は農業も漁業も酪農も後継者が無く、やむなく廃業する人たちがとても多くなっています。
幸い、谷牧場さんは頼もしい後継者を得て、今はご家族で牧場を経営されておられます。夏にはホタルも飛びかうと言う自然豊かなこの地で4代目、5代目と続くことを願いながら取材を終えました。
谷牧場からの生乳は、全量、目の前の雪印メグミルク京都工場池上製造所で雪印メグミルクの牛乳になります。
私達も毎日の酪農が「楽農」になるようお手伝いをしながら、美味しい牛乳を皆様へお届けしたいと思います。

2009年7月(猛暑)

雪印メグミルク「牧場通信」に戻る