牧場通信

神奈川 長谷川牧場

牧場名 長谷川牧場
所在地 神奈川県 藤沢市
開設 昭和16年
規模 年間出荷乳量  平成21年度 260t
飼料畑
牛の頭数 44頭(経産牛32頭、未経産牛12頭、育成8頭)
牛舎 対尻式繋ぎ飼い牛舎
ホームページ http://www.longvalleyfarm.net/

大消費地域でもある神奈川県湘南の地で、酪農経営を営む長谷川牧場は、毎年共進会で上位入賞するスーパーカウがいる牧場です。
「通りがかりにちょっと覗いていける牧場」を実践し、多くの小中学生や育児サークルの見学を昔から受け入れています。

日本酪農青年研究連盟委員長や、神奈川県ホルスタイン改良同志会顧問などの要職を歴任されている長谷川行夫(57)さんに都市近郊型酪農経営のお話を伺いました。

鶏よりも牛の方が儲かる

長谷川牧場は、昭和16年(1941年)に、お祖父さんが、神奈川県の辻堂新町で、育成牛を1頭(肥育専門)飼い始めたのがはじまりでした。
鶏卵直売は、鎌倉や逗子へ出荷していましたが、父・清さんが「鶏より牛がいい」と言い出し、昭和23年から酪農も始めます。
昭和40年(1965年)、牛が14頭になったので酪農専業に切り替えます。
この頃は両親が手で乳を搾っていました。
長谷川さんも、身近に牛がいたので、小学校の高学年から牧場の手伝いをしていました。

長男だったので、他の職業は考えたこともなく、神奈川県立中央農業高校の畜産科で3年。更に、県立農業大学校で、自営のための経営学などを勉強しました。
卒業後、昭和49年(1974年)に就農。
昭和53年(1978年)、長谷川行夫さん26歳の時に、お父様から経営を移譲されました。

当時の長谷川牧場は、東海道線辻堂駅から徒歩10分という立地。昭和40年代はまだ畑が広がり住宅もまばらな場所でしたが、バブル期には、マンションや新興住宅も立ち並び急激に都市化していきます。
周りをマンションや住宅に囲まれる中、牛の臭いや泣き声が住民に迷惑をかけるのではないかと気をつかいながらの牧場経営を余儀なくされました。
牛がお産の時に鳴くので、口を縛った時もあったとか。

「街の中での牧場経営は、地元の人たちの理解が必要なんだ。だから、昔から、小中学校の牧場見学やいろんなサークルの研修も受け入れているんだ。」
「牛を飼うだけならここでなくてもいいと思うんだけど、この土地に育って、この地で仕事をして、人が通りがかりに牛舎を見学していく…そんな牧場を目指したかった…」と長谷川さん。

おれたちの牛乳

きっかけは、7年程前、横浜の小学校の先生が「学校給食の牛乳は、どこの牧場から搾ったの?」と神奈川県へ問い合わせしたことでした。

ご存知のように、通常、牛乳はメーカーの工場に運ばれて、多くの酪農家さんの搾った生乳が一緒になってパック詰めされるため、この牛乳がどこの牧場の生乳で生産されたものかを特定するのは困難です。

そこで、日本酪農青年研究連盟の新年会で「俺達の牛乳の行き先がはっきりしないよね。自分達の牛乳が使われているのは知っているけど、深くは考えてなかった。
搾った牧場がわかる、そういう牛乳が出来ないかな?それにここには、消費者が近くにいるし」と問題を提起してみました。
県内の何人かの酪農家の賛同を得て、当時の雪印乳業の協力も取り付け、搾った酪農家が分かる牛乳「おれたちの牛乳」が誕生しました。

「生産者の顔が見える商品。消費者に近い生産者。消費者の牧場の見学もいつでも受け付けるという売り文句で。消費者とメーカーと牧場との三つ巴を狙ったんだ」と長谷川さん。

現在、雪印メグミルクの海老名工場で生産。神奈川県内の生協やスーパーで販売されています。

(現在販売を中止しています)

共進会の魅力

長谷川さんは、神奈川県ホルスタイン改良同志会の顧問を務められています。
優良な乳牛のコンテスト「共進会」や、ホルスタインの品評会「ブラック&ホワイトショウ」の常連受賞者でもあります。
2001年には関東ホルスタイン共進会で名誉賞:農林大臣賞を受賞しました。

長谷川さんに「共進会の魅力とは?」と聞いてみると、「牛の改良で、到達点はないね」と即座に返事が返ってきました。又、「牛との巡り合い、人との出会い、すばらしい牛を見られること、意見交換が出来ることだ」とも言われます。

高校の夏休みに県内伊勢原の酪農家へ実習に行った時も、牛の改良を積極的にやっている先進的な酪農家だったことや、父が共進会をやっていたこともあり、高校1年の時に初めて自分で種付けをして、育成(出産前)牛を共進会に出しました。最初の結果は3等(びり)で、そんなもんかなと。

20歳の時、輸入精液が入り始めた時で、当時、国産が300円/本なのに、輸入精液は、4500円/本もしたそうですが、両親を説得して、5本購入し、生まれたメスが県の共進会でTOPに!

「もちろん、育てるのも一生懸命だけれど、やっぱり、血統なんだ! 外国の凄い血統が重要なんだ!これを使えば改良が進む!と、そこから没頭しちゃった。」と笑います。

一頭だけでなく、全体の牛群レベルを上げないと難しいというのが、長谷川さんの持論で、改良の励みの為にも、共進会は必要かな、と。

受賞したトロフィ・盾の数々

関東ホルスタイン共進会で名誉賞を受賞した
ロングバレー ダーハム スター フタゴ号

結婚して、経営安定のため、50頭搾乳していた時は、共進会をお休みしていたこともあるそうです。
余裕がないと共進会は出来ないし、準備等にも時間もかかる。
経営が落ち着いたところで、再度、共進会へ復帰。

今も上位入賞し続ける秘訣を聞いてみると…
「牛との巡り合い、出会い、巡り合わせかな。 交配してメスが取れた時に、育成の時からずーっと使える牛と、経産牛で、乳房が大きくなってからという2系統いる。それが分かったのも年を取って経験をつんだ証拠かな。」
共進会は、牛の月齢でクラスが分かれています。
いつ分娩するかということも考えると、1年半前から準備し、一月前からは牛をリードしながら歩く練習や牛の洗浄などを行います。
今も年に4回位は、あちこちの共進会へ出品されています。

奥様からも「本当に、お父さん牛が好きだよね。」と日ごろから言われているそうです。

直営店「リコッタ」の閉店と牧場の移設

15年前、牧場の一角に、アイスクリームやヨーグルト、チーズ、牛乳などの直売店「リコッタ」を開業します。
アイスクリームやヨーグルトは奥様と従業員が、フレッシュチーズは長谷川さんが夜、1人で作っていました。
美味しいアイスやチーズを作るために、日本では珍しいブラウンスイス種やエアシャー種の乳牛も輸入して育てていました。
遠く東京からもお客様が訪れる評判のお店になりますが、信頼していた従業員が都合でやめることになり、やむなく閉店することになります。

その中、辻堂での牧場経営は、都市化による環境変化の波の中で、糞尿処理や騒音など環境保全面で生き詰まりを感じるようになります。
さらに、地価の高騰で、固定資産税が上がり、経営に重大な影響を与えるようになります。
幸いにして、所有していた田んぼが用水池の代替で、辻堂から車で10分程度離れた山の中腹に大きな土地を確保していたこともあり、3年前にこの地へ牧場を移転します。
「周りに気をつかわなくていい。すごく楽になった。牛にとってもストレスがなくなったかな。」

綺麗に掃除されている牛舎

水へのこだわり

アルカリイオン水の貯水タンク

牛舎の番犬

「一日に牛は100リットル水を飲む。水を飲まないと生乳が出ないからね。
古い牛舎は井戸水だったけれど、アルカリイオン水転換の機械を15年前に設置。人間用より金額は20倍したよ。ウチは、生乳を子供たちも飲むけど、マイルドになった。あっさりした。と言うんだよね。」

「イオン水機械メーカーは、蛋白の吸収が良くなる。餌代が安くなる。喉に残らないがうたい文句だった。そうかなと思ったけど、餌代は極端には変わらなかったね。」

長谷川牧場では、メスが7割強生まれるそうです。獣医さんからは、
「長谷川さんちはメスが多いよね。水だけじゃなくて、餌の影響もあるんじゃないかなぁ。アルカリイオン水をやってる他の牧場じゃそんなことないよ」と言われるそうですが、長谷川さんは、
「引越し後に、機械が壊れ3日間水道水をやったら、ウォーターカップの水を牛達がぶくぶく押して、無用に垂れ流すんだ。でも、直ったら、やらなくなった。こいつらも水の味がわかるんだ!牛ってシビアなんだって思ったよ。」と。

引越し後もメスの割合は変わらないので、やはり水のお陰だと長谷川さんは思うそうです。

世代をつなぐ

酪農で働けるのは、60歳までかな…と思っていたけど、長男の勇輔(ゆうすけ)君が高校から北海道の酪農学園大学に入学し、後を継いでくれると言ってくれています。

昔に比べると、酪農での所得が下がり、経営は大変だけれど、後継ぎができたことで長谷川さんも一安心です。
勇輔くんも共進会が好きで、中学から自分で牛を連れて行っているそうです。
「搾るだけの牛屋じゃつまんないじゃん、共進会やってなかったら戻って来ない。それなら北海道でやるよ。その方が儲かるもん。」と言うそうです。

が、一方では「北海道の広い土地で自給飼料を作ってやるのも酪農だけど、そうじゃないよね…」とも。
育った環境も少しはあるみたい。

「当初は、『俺がやり始めたら、親父やらなくていいよ』と言っていたけど、考えが変わりやがって『俺が始めた時もちょっと手伝ってね』と言い出した。親子3人になったら、規模拡大で、今の牛舎をフルの40頭搾乳にしようかと。預託を北海道に出しているので、乾乳と育成舎をちょっと作って規模を拡大したいな」と今後の夢を語られました。

編集後記

「雪印メグミルクには、牛乳のTOPシェアメーカーになって欲しい。
酪農家と共に進むのが雪印メグミルクだと思う。共に歩んで行くことを期待します。」
と長谷川さんに言われました。
取材を始めた途端に、激しい豪雨になった日でしたが、とても綺麗に掃除された牛舎に、頭数は少なくてもスーパーカウやエアシャー種などが並ぶ様子は圧巻でした。
長谷川牧場の生乳は、雪印メグミルク海老名工場で、「雪印メグミルク牛乳」や「おれたちの牛乳」などになっています。
雪印メグミルクも更に牛乳を飲んでもらえるよう、日々努力いたします。

2009年7月

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