牧場通信

京都 株式会社 谷牧場

牧場名 株式会社 谷牧場
所在地 京都府 南丹市 八木町
開設 2017(平成29)年 ※創業は1943(昭和18)年
規模 年間出荷乳量  2019年度 1,100t
飼料畑 稲ホールクロップサイレージ(稲WSC)約1ha
牛の頭数 経産牛 110頭
未経産牛 80頭
(北海道の育成牧場、全農京都哺育センター、
自家育成)
牛舎 フリーストール ※酪農教育ファーム認証牧場

(2020年1月)

谷牧場は、京都市の北西に位置する南丹市八木町にあります。 京都駅からJR嵯峨野線で列車に揺られておよそ40分。田んぼや、みずななど京野菜の畑が広がる自然豊かなところです。
この地域には、谷牧場から道路1本を隔てた向かいに雪印メグミルク京都工場池上製造所、近くには雪印メグミルク京都工場もあります。 谷牧場は、「地域でも価値のある牧場で、楽農を」目指しており、今回、お話を伺った酪農家3代目の谷学さん(42才)は、2018年度には全国農協青年組織協議会の副会長(2017,2018年には京都府農協青壮年組織協議会の委員長)も務められ、精力的に活動されています。

雪印メグミルクが実施する酪農体験イベントにもご協力頂いており、中央酪農会議の酪農教育ファーム認証も取得されています。

谷牧場の目の前にある雪印メグミルク京都工場池上製造所

堅実な仕事は酪農!

谷家は、曽祖父が材木商をされていましたが、お祖父さん曰く「株や相場、パチンコなどは“不良や”、商売は嫌いや」と言って、住んでいたこの八木町で、稲作と牛3頭から酪農を始められました。
2haあった畑は稲作が中心。牛は、畑の肥料や荷役として活用するために、生乳は副産物として考えていたようです。

「貨幣価値が下がった時も堅実な農業が勝ちや、とじいさんは言っていた。お米や牛乳は物々交換出来る」と。
長男だった、父・啓司さんは、酪農関係の高校を卒業後、家業の酪農を継ぎ、牛8頭から32頭に増やし、1.6haの土地で稲作もしてきました。

南丹市は、地域的にはとても酪農が盛んなところで、多い時には90戸の酪農家があったそうですが、現在では約10戸に。京都府全体でも約50戸と少なくなっています。

学さんは、長男だし、将来は酪農を継ぐだろうと漠然と思っていましたが、大学では特に酪農を専攻しませんでした。
大学卒業の2年後には、集落内の基盤整備に伴う換地によって、牛舎の移転が決まっていましたが、母・幸さんから移転までの間は社会へ出て働くことを強く勧められ、電気関係の会社に就職し営業をしていました。

「酪農以外の仕事に就いて、いろいろ社会のことを知るのも大切なことだから」と幸さん。
この時の経験が、飼料会社や設備会社などの営業マンとのお付き合いの仕方にとても役立っているそうです。

「子供の頃、家に帰ると親がいて、仕事の合間に遊んでくれるのが嬉しかった。 僕も子供と一緒に遊びたいと思って、家でできる仕事がいいと思っていた。同じ利益なら牛(酪農)じゃなくてもいいと思ってはいたけど、2年間サラリーマンを経験して、結局、家業を手伝うことに」と学さん。

現在の牛舎への移転

更に、ちょうどこの時期に八木バイオエコロジー(堆肥)センター、雪印メグミルク京都工場池上製造所やJA西日本くみあい飼料が次々と設立され、最高の酪農環境が揃いました。
2002(平成14)年、基盤整備の換地で現在の牛舎へ移転。学さんは1年間の酪農実習を経て、牛も85頭に増やし、親子3人での酪農経営が始まりました。

  • 壁が大きく開いた開放的な牛舎

  • きれいに洗浄されたミルキングパーラー

「牛舎の移転は、新車が納車されるのと同じ。新牛舎に新しい便利な機械などが導入されて嬉しかったんで、特に苦労を感じなかったな」

「この牛舎は、壁がなくて通気がいいので、天井に扇風機をつけると牛舎内が一番涼しいくらい。夏バテもあまりしないね。冬は雪が降ってもそのままだから、牛は寒くないの?とよく聞かれるけど、ホルスタインは元々寒い地域の動物なので全然平気」と学さん。

牛舎内は、経産牛が中心。管理に手間のかかる育成牛(生後6ヶ月齢)は、北海道の育成牧場で育ててもらい種付けをし、分娩2ヶ月前で帰ってきますが、谷牧場でも数頭を哺育・育成しています。雌雄判別精液の普及・活用によって、4年ですべての乳牛が一新する経営スタイルを取っています。

「でも、やはり自家繁殖が一番いいので、ホルスタインを種付けしている。導入牛はコストも高くなるし、なるべく自家育成牛で更新を賄いたいと考え、ET(受精卵を移植する)もしている。」

子牛たち

家族協定、そして株式会社化 〜魅せる酪農・見せられる酪農〜

酪農は生き物の乳牛が相手ですから、365日休むことなく乳牛の世話をして、生乳を搾らなければなりません。

谷牧場は、八木町で初の家族協定を結び、給料制を導入しました。これにより、父・啓司さん、母・幸さん、学さんそれぞれの仕事の分担と責任が明確になりました。

そして、2017年には将来を見据えて株式会社化し、学さんが代表取締役となりました。現在は、学さんご夫婦、母・幸さん、従業員の小島さんの4人で仕事を分担しています。

学さん:乳牛管理、繁殖、糞尿処理、搾乳、酪農教育ファーム等
妻・光美さん:搾乳、子牛の哺乳のメイン担当
母・幸さん:経理、酪農ファーム
小島さん:牛舎作業全般
学さんは、職場の雰囲気づくりに、いつも気を付けているそうです。
仕事が楽しいと思ってもらうためには、「話しやすい雰囲気作りとコミュニケーションが大切。だから、自分は監督というよりも、キャプテンでありたいと思っている。そして労働環境の改善も今後の課題」。
こうした環境の中、従業員の小島さんは9年目を迎え、免許をもっていない大型車の運転以外は、牛舎作業全般をはじめ、牛の買い付けまで何でもこなされているそうです。

谷牧場での仕事は、午前は6時〜10時、午後は16時30分〜20時30分。

<午前>餌作り、搾乳準備開始
牛を8頭ダブルミルキングパーラー(一度に16頭搾乳できる搾乳施設)へ追い込み搾乳。空いた牛舎の掃除と敷き料(木くず)を敷く、子牛の哺乳、パーラーの洗浄など
糞尿を八木バイオエコロジセンターへ運搬

<午後>餌作り、搾乳など

朝はどうしても3人、夜は2人必要で、牛は決まった時間に搾乳することも大事なことですから休めません。休みをどう確保するのか。どの酪農家さんにとっても切実な問題です。

学さんは、農協青年部の役員などでも多忙、母・幸さんも近くの「氷室の郷」でのお手伝いなど酪農以外の地域での活動を積極的にされています。朝と晩を一日単位とした有料の酪農ヘルパーを月に8回程度利用することで、気持ちにも余裕ができます。

学さんが中学や高校生の頃、弟・正人さんと一緒に両親に休みを取ってもらうために牛舎の手伝いをしたのと同じように、今では2人のお子さん達も、搾乳の仕事を手伝ってくれます。

現在は、株式会社化し経営主となりましたが、「自分の子どもが酪農をやりたいと思わなければ、他の人が酪農をやりたいと思う筈がない」。
これまでも数々の酪農体験イベントを通じて、命や食の大切さを伝えてきたが、酪農の楽しさや魅力、多面的な価値や機能を、自分の子どもを含め、より多くの方々に伝え、知ってもらうことが大切だと思う。
これはまさに、父・啓司さんの時代から引き継いできた酪農であり、「魅せる酪農・見せられる酪農」を実現していきたいそうです。

パーラー洗浄する従業員の小島さん

敷き料用の木くずと小島さん

青年部の全国会議に出席の学さん

「地域でも価値のある牧場で、楽農を目指す」

3Kといえば、『危険、汚い、きつい』ですが、学さんは『家族、環境、貢献』の新たな3Kを重視した価値のある牧場を目指したいと語ります。
谷牧場の糞尿処理は、全て、近所の八木バイオエコロジセンターへ運んでいます。でも、受入れ量の問題があり、牛の頭数は増やせません。

「この先、僕はここでずっと酪農をしていく。特に近所には出産時の牛の鳴き声やバイオエコロジセンターへの糞尿の運搬で、迷惑をかけている。近所も含め、地域から『ここに牧場があって、え〜なぁ』と言われる牧場でありたい。酪農体験を積極的に実施して地域に貢献していきたい」

2007(平成19)年には、東京へ何度か研修を受けに行き中央酪農会議の酪農教育ファームの認証を取得、年間1000人もの方々を受け入れています。

雪印メグミルクとタイアップした親子酪農体験や、京都府保健所のイベントや地元小学校への出張授業などで、年間20回以上も酪農体験イベントを実施。
「『くせぇ〜!』と一番騒ぐ子どもに限って、帰るまでしつこく乳搾りをしている。『牧場は臭いなぁと思った子は手をあげて』と言うと、半分位は手を上げる。『君達の鼻は正常や(笑)。でもこれが牧場の匂いやで』と言うんです」。こんな風に地域の皆さんと楽しめる「楽農」を目指しています。

ペットでもなく、経済動物でもなく…

「牛はペットではないので、僕は経済動物として割り切りが早い方だけど、父は、そこまで世話しなくても…と思うほど面倒を見ていた。病気や何かで、もうだめだと思われる牛でも、父は復活させることができた」
ここまでは大丈夫…という牛を見る目は、まだまだ父にはかなわない。やっぱり父は凄かったと思う。
牛は喋らない”従業員達”なので、もっと環境をよくしてやろうとも思う」と語る学さん。

「ずーっと飼っていた7、8産した牛が病気になった時、昔は最後を看取ってやった。 酪農体験でやってきた子ども達に、私達は牛乳をもらっているだけじゃない。牛の一生を預かっている。それによって、私達の生計も立ててもらっていることを、どうやって伝えらたらいいかな…と思うんです」と母・幸さん。

「酪農は、頑張れば、頑張っただけの報酬がある。牛は嘘をつかない。もちろん、大変だし、収入が少なくなることもあるが、やればやっただけの結果が出る。じいさんが言っていた通り」。
「そして、近い将来には新牛舎・搾乳ロボットを増設して、規模を拡大することも検討している。京都の酪農を守っていきたい」と、今日も家族・従業員で力を合わせて、美味しい生乳を生産されています。

編集後記

日本では、酪農をはじめ農業の後継者が少なく、やむなく廃業する方々が多くなっています。
谷牧場は、3代目の学さんが株式会社化して酪農を継承され、牛乳の安定供給だけでなく、酪農の持つ多面的な価値や機能を伝える活動を展開されています。夏にはホタルも飛びかうと言う自然豊かなこの地で、京都の酪農の発展を願いながら取材を終えました。
谷牧場の生乳は、目の前の雪印メグミルク京都工場池上製造所で雪印メグミルクの牛乳になります。
私達も毎日の酪農が「楽農」になるようお手伝いをしながら、美味しい牛乳を皆様へお届けしたいと思います。

2020年1月

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