創立前夜
大正10年、宮尾舜治が第16代目北海道庁長官に就任した。
政府は、産業組合主義によって偉大な成長を遂げた「デンマーク農業」を手本に、北海道有畜農業を確立しようとしていた。
牛馬百万頭増殖計画が策定され、この政策のもと、北海道の酪農民は奮起した。
しかし、大正12年9月、関東大震災が発生し、日本経済は多大な打撃を受ける。
物資欠乏と価格の暴騰に備えるため、政府は乳製品輸入関税を撤廃。
練乳や脱脂粉乳、バターが外国より大量に流入し、更に、練乳の売り上げ不振により練乳会社の原料乳の買取拒否などにより、北海道の酪農民はまたたく間に窮地に追い込まれていく。
『まさに農民の死活問題であり、このままでは北海道開拓の中心となる寒地酪農も挫折する。どうしても農民による、農民のための生産組織を!』
という宇都宮仙太郎、黒澤酉蔵、佐藤善七らの呼びかけに、零細な酪農民たちが立ち上がった。
個々がバラバラだった酪農民を協同の力によって自らを防衛し、自らを発展せんとする意志の結集であった。
苦難に立ち向かう北海道酪農民の個々の願いは、やがて「北海道製酪販売組合(酪連)」の設立へと向かった。