北海道酪農義塾(酪農学園大学の前身) 開校
北海道製酪販売組合連合会(酪連)の創始者の一人である黒澤酉蔵(後:雪印乳業(株)社長)たち首脳陣は、農村中堅人材と職員養成を目的とした学校(義塾)の設立準備を進めていた。
昭和8年9月の臨時総会にて学校設立と毎年5,000円ずつの補助金を支出することが認められ、ただちに設立に着手し、札幌の中央工場隣接地に校舎と寄宿舎の建設を進め、生徒の募集を開始した。
義塾の教育方針は、農業の真髄にふれ真に農民としての人生観を確立、質実剛健な気風を養成するため、塾生はすべて塾内に起居させ、厳格な規律のもとに教育を施そうというものであった。
黒澤酉蔵提唱の『健土健民』の思想を核とした、農民道五原則を指導精神として昭和9年、開校にいたった。
塾生の定員ははじめ酪農科30名、製酪科20名であったが、全道103町村から推薦された希望者が非常に多かったので、製酪科は定員の2倍を超える50名を選抜した。
北海道酪農義塾の精神は、現在も「学校法人 酪農学園大学」として引き継がれている。
※『健土健民』=黒澤は、「酪農は循環型の生産システムで、健康な牛から出た堆肥が土を豊かに健康にして、良い牧草を育てる(健土)。良い牧草を食べた乳牛は良い「乳」を出し農民をうるおし、これを飲んだ人々は健康になる(健民)。この循環が酪農である。」とした。この精神は、現在の雪印メグミルク(株)・学校法人 酪農学園大学のバックボーンとなっている。