わが街の雪印メグミルク販売店

【茨城県ひたちなか市】豊ミルクセンター

●配達エリア ひたちなか市、日立市、那珂市、東海村
●所在地 茨城県ひたちなか市足崎西原
●代表者 菅野達雄(かんのたつお)さん(60歳)、アサ子さん(奥様)
●スタッフ 孝晴(たかはる)さん(次男24歳)、パートスタッフ13人
宅配エリア

ひたちなか市は茨城県水戸市の北東に隣接した人口15万人の街です。平成6年に、勝田市と那珂湊市が対等合併して「ひたちなか市」が誕生しました。
東には雄大な太平洋が広がります。
那珂川流域の肥沃な土地では農業が、海側では漁業が盛んで、坂も少なく平坦で穏やかな土地柄です。
徳川水戸藩の史跡も多くみられます。

「豊ミルクセンター」は、この地で牛乳販売店を始めて40年になります。
地域の皆様に愛されて、家族が力をあわせて奮闘するお話を伺いました。

新聞販売店からの転身

40数年前、初代となるお父様・一次(かつじ)さんが、佐和地区で新聞販売店の支店の仕事を手伝い始めます。

達雄さんは高校生の時から別の新聞販売店のアルバイトをしていましたが、「仕事熱心で感心な子どもだから・・・」と、新聞よりも時間がシビアではない牛乳配達の仕事も紹介され、新聞と抱き合わせで牛乳も配達していました。
そのうちに、お父様の新聞販売店も、達雄さんのアルバイト経験を生かし、別のメーカーの牛乳販売店を始めます。
3年ほどして、近所の牛乳販売店が夜逃げをしてしまい、牛乳メーカーの橋渡しと後押しにより、お客様を引き取るような形で、雪印の牛乳販売店を始めることになります。
地名を店名にしたいと希望していましたが「佐和販売店」はすでに地域に同じ名前があったので、達雄さんの弟の名前の「豊」をつけることにしました。

そんなこんなで、新聞屋さんから牛乳屋さんへの華麗な?転身をはたしました。

「地域のみなさまの健康応援団」

「お客様には健康で長生きしてもらいたい。健康にいい牛乳を一本一本配り、その牛乳を飲んで身体が健康になると、心の健康にも恵まれ、そのご家庭が心豊かになってもらいたいと私達は配達しています。
『地域のみなさまの健康応援団』を合い言葉に牛乳をお届けしています。
店名の『豊』も、実はそういう気持ちも込められています。」

「牛乳は健康にいい飲みもの。牛乳販売店の牛乳はスーパーで買うより高いかもしれないが、定期的に届くので毎日習慣的に飲むことが出来るんです。また、カルパワーやグルコサミンパワーなど、宅配専用の商品もあるんです。」

「ウチの配達員の人たちにも、お客様の門を開けて入る時に、早朝なので、大声じゃなくていいから「おはようございます」。帰る時に感謝とまごころの気持ちをそえて「ありがとうございました」を言うように指導している。」と社長。

ベランダの「おしめ」は拡販のチャンス!

昭和50年代の高度成長にささえられて牛乳の宅配軒数は順調に伸びていきました。
「土地を切り開いて新しい団地が出来て、赤ちゃんの白い「おしめ」がベランダになびいていると『注文が取れる!』と嬉しくなったよ。」
人が増え、宅配牛乳を取る人も増えていきます。

しかし、まもなくスーパーマーケットがあちこちにできて、団地の若い人たちが宅配牛乳を取るのを止めていきます。この時が一回目の危機でした。
社長は新規のお客様を開拓するとともに、自動販売機や幼稚園などへの納品を増やします。

やがて、売り上げの伸びに伴って、店の冷蔵庫は、卓上のものから、半坪の大きさの冷蔵庫へと拡張します。

今では、最初の頃の8倍の4坪の冷蔵庫を備えるまでになりました。

「夫婦でケンカしながら、腰がぬけそうになりながら、毎日配達していたよ。土日もなかった。よく働いたなぁ・・・
今の場所に引っ越して20年経つけど、最初は全て借地に借家。
牛乳販売店をやらせてもらって生活もできたし、家も店も自分のものになったから感謝しているよ。」

しかし、平成12年「雪印食中毒事件」で、配達本数がピークの頃の6割にまで激減。本当にどうしていいかわからないほどショックを受けました。
幸い、お客様の温かい励ましや応援もあって、何とか苦境を切り抜けることができました。この時が最大の危機でした。

3度目の危機は、突然に!

平成18年2月2日。社長の達雄さんが「くも膜下出血」で倒れました。
いつもは東京で暮らしている長男の総一郎さんが自宅にいました。総一郎さんが理学医療士の資格を取るために勉強をしていたこともあり、「ここの病院へ知り合いの先生がいるから行ってくれ!行けばなんとかなる!」と救急隊員へ頼み込み、ある病院へ担ぎこみます。これが幸いしました。
総一郎さんが、家に戻ってから奥様に病状を噛み砕いて詳しく説明してくれたので、とても心強かったそうです。

結局、集中治療室に40日。リハビリで2ヶ月半の入院を余儀なくされました。

「明日からの牛乳販売店の仕事をどうする!?でも、お祖父さんの代からやっている牛乳販売店を潰すわけにはいかないだろう?」と息子さん二人が奥様へ語り、配達は販売員さんにいつも通りやってもらって、社長がやっていたことは倒れた翌日の朝から一日も休まずに奥様と二人の息子さん3人でやり通しました。

孝晴さんは、これを機会に牛乳販売店を継ぐことを決意したそうです。
孝晴さん22歳の春。「豊ミルクセンター」三代目の誕生でした。

「以前勤めてくれていたスタッフの人達に連絡して、急遽、手伝ってもらった。みんな快く応援してくれた。
地域の販売店仲間は「豊はもう駄目だ」と言っていたらしいけど、ここまで治って本当に牛乳を飲んでいてよかった!」と社長。
第3の危機も家族やスタッフが力を合わせて克服していきます。

白熱する家族ミーティング

月一度の土曜のミーティングは、家族にとってとても大切な時間です。
「このミーティングが非常にいいんだ!
夫婦二人でやっていた頃はケンカばかりしていたけど、息子の孝晴が入ったことでミーティングらしくなった。
日頃の思っていることをメモしておいて、腹の中まで話し合うんだ。たとえ家族でも遠慮しないで話し合う」と社長。

孝晴さんは、日ごろからお二人を、「社長」「奥様」と呼びます。仕事場では父、母ではなくスタッフの一員と心がけているのだそうです。

豊ミルクセンターのある一日

現在、スタッフは事務員を含め、13名。

豊ミルクセンターの一日は、こんなスケジュールです。(日曜日は休み)

菅野さんの睡眠時間は、4~5時間だそうです。
午前1時 起床。仕事場の鍵をあける。
「午前1時はウチでは朝です」と奥様。
牛乳屋さんの朝はとびきり早いのです。

配達の時間に合わせてスタッフが出社。
準備をして、4時までにそれぞれのコース別に配達に出発します。
全部で25コースあります。
4時半 牛乳工場から牛乳が届きます。冷蔵庫に納品、冷蔵庫内整理
7時 配達スタッフ帰宅。お客様のメモなど書類整理。
8時半頃 朝食
9時~10時 自動販売機、市役所・駅・病院の売店、幼稚園などへの配達(卸)や集金へ出発
12時~ 卸担当が帰宅、書類整理
昼食
12時半~13時40分 地元の佐和高校の売店で奥様とスタッフで牛乳を販売
13時~ 午後の卸担当が出発
14時~15時 メーカーへ商品発注
15時~ 午後の卸や集金へ出発
17時 帰宅後、一日の整理と明日の配達の準備
19時 仕事場の鍵を閉める
夕食・風呂
20時頃 就寝

お客様とのコミュニケーションは「豊ミルク通信」

豊ミルクセンターでは、お客様とお店とのコミュニケーション手段として、毎月、「豊ミルク通信」を配布しています。
巻頭は、人気コラム「店主のひとり言」、時事的話題を盛り込んだクイズ、投稿俳句、お知らせ欄など紙面は充実しています。編集長は孝晴さん。原稿の選択や、全体のレイアウト、仕上げを行います。1600枚印刷して、配達のときにボックスに入れています。

クイズの答えや、お客様の声は、空瓶と一緒にボックスに入れてもらい回収します。

「一番人気は、『店主のひとり言』なんだ。毎回、テーマを考えてこれを書くのが楽しみになってきたよ。お客様に共感の言葉をいただくとうれしいよね。」と社長。

「素人が書くから、気楽に読めるのよ。
『そうだよね』と誰でもありそうな話だから人気があるのかもね(笑)」と奥様。

そして、お客様のお便りとは・・・
「牛乳を飲み始めて、毎年引いていた風邪を引かなくなった」
「胃潰瘍で食事が摂れなくなっていたが、医者に「アカディ」をすすめられ、それだけを毎日1L飲んでいた。結局、手術無しで治った。」という報告のお手紙。
「若い頃は丈夫ではなかったが、『カルパワー』を飲むようになったら、丈夫にもなったし、若い人と同じ位に身体が若いと言われ、嬉しくて嬉しくて!」というお手紙など。

「これがすごく励みになるね。」
スタッフの皆に今月のお客様のメッセージを一覧にして貼り出しておくのだそうです。

「こっちが一生懸命やっている以上に、お客様からの恩恵が本当に多いんだよ。」と社長。

地域に愛されて

昭和53年から、ひたちなか市では、老人福祉事業として、一人暮らしの老人が市へ申請し、毎週2回または3回、牛乳を宅配する「愛の定期便」事業を実施しています。
牛乳が牛乳ボックスから取り出されていなかったら牛乳販売店が、市役所へ連絡し、すぐに民生委員が訪問します。地域の老人が牛乳を飲んで元気を維持するとともに、配達時に安否がわかるという優れた取り組みです。
牛乳販売店は、アラームの役割をしているそうです。

孝晴さんは、去年の4月より、納品先の幼稚園で学童(対象は小学1年~4年生)の先生をつとめています。
少しでも地域に貢献できればと忙しい仕事の合間を縫って続けています。

奥様は、長年、地元の高校の売店で、牛乳やパンを売っているので、卒業生がやってきて話しこんでいく事も。

夏の暑い時に小学生が「おばちゃん涼ませてね」と寄って行き、麦茶をふるまったら、ランドセルを置いて、入口にずら~と並んで座って飲んでいきます。

お店は、小学校の通学路に面しています。
「こどもを守る110番の家」のステッカーが貼られて、子供たちにも頼りがいのあるお店になっています。
とても立ち寄りやすい地域に密着した牛乳販売店なのです。

今後の夢

現在は一日平均1300本だそうですが、2000、3000、そして1万本に増やして、法人化へという夢も。

「社長の構想では、法人化したいが、今の家族経営の温かさは無くしたくない、と顔を合わせるとその話をしてます」
「皆様の地元の牛乳屋がやっているんです。牛乳は健康にいいものなんだから、売れないはずがない。というのが社長の持論です」と孝晴さん。

経営の実務は、徐々に三代目の孝晴さんに委譲されています。

編集後記

家族で仕事をするのは何かと大変です。わがままになったり、なぁなぁになったり・・・
孝晴さんが間に入って、仕事での家族の関係を上手にコントロールしているように思えました。
地域に密着した「豊ミルクセンター」として40数年。お客様のご声援に励まされて幾度かの危機も家族で乗り越えていらっしゃいました。
これからも、健康に役に立つ牛乳を地域の皆様に届け続けていただきたいと思いました。

(2008年12月)

●「豊ミルクセンター」のホームページ

(孝晴さんのブログも掲載されています)
http://www.yutaka-milkcenter.jp/