チャレンジChallenge

「恵 megumi ガセリ菌SP株ヨーグルト
ドリンクタイプ」生産への挑戦

今まで経験のない
ヨーグルト新ラインの立ち上げに携わった、
ベテラン社員と若手社員の奮闘記


ゼロから発想する難しさを知った、
お客様目線に立った
PY製造ラインづくり。

金井

この製品のプロジェクトに初めて関わったのは、海老名工場の第1期工事が終わり、生産立ち上げ終了後の2012年末の頃でした。

佐藤

私はその後、既にPY(プラボトルドリンクヨーグルト)製造ラインの工事が始まっていた頃からです。生産開始までの品質検証、工程検証、生産体制等について関係部署を含めて検討を進めました。

髙玉

私は当時富里工場に所属していましたが、工場が閉鎖になったタイミングで海老名工場へ。設備が入った後になります。

奥原

私も髙玉さんと同時期に海老名工場に異動となり、共にPY製造ラインを担当することに。2014年に入ってすぐのことでした。

金井

2013年に入ってすぐにPY製造ラインの検討を始め、3か月で基本設計と仕様を決めなければなりませんでした。現在のPY充填設備のある場所ですが、2012年の年末までは他工場から瓶設備の移管を検討していました。それが、まったく別のPY充填設備へ変更になったことに驚きはあったものの、新しいことにチャレンジできるという喜びの方が大きく、「面白い」と感じたことを覚えています。

佐藤

私は「これからが大変だ」という思いの方が強かったかもしれません。立ち上げは確かに重要ですが一つの区切りに過ぎず、生産開始後の「トラブルを未然に防ぐため」、「不良品を出さないため」の施策などを考えると「本当に大変だ」というのが正直なところでした。

金井

海老名工場はPR工場として、お客様の視点を意識したレイアウトになっています。PY製造ラインを構築するときも、見学コースと現場を何度も往復して、お客様から「美しく見える」製造ラインづくりを目指しました。

佐藤

「人材に適合した設備」「省人化」「省エネ」「稼働率の向上」「コスト低減」といった効率面など、海老名工場は当社のモデル工場として稼働していくというコンセプトがあり、それに対してPY製造ラインはどこまで対応できるかというテストプラントとしての役割もありました。

金井

今回のPY製造ラインを構築する作業に当たって気がついたことは、「初めて作る物をゼロから発想して作るのは、ものすごく難しい」ということです。最初からあるものを経験則に従って構築する方が、まだ楽なことなのだと初めて実感しました。

佐藤

今までと同じ仕様ではうまくいかないということは、さまざまな設備を見学し検討したからこそわかっていました。新しい考え方を取り入れていかなければ難しいと。

金井

当時はPYの充填設備に関する技術・経験・知識がほとんどなかったので、理想的な設備像を描くのも一苦労でした。検討開始から生産開始まで1年ほどしかなく、とにかく時間に追われていた気がします。

佐藤

限られた人材の中でみんなで協力して、社内に限らず設備業者の方々ともとことん話し合いました。ライン設備の人と人のつながりの重要性を改めて感じました。

生産開始当初から悩まされた「泡」。
長期戦の末に辿り着いたものとは。

金井

生産が始まってから一番悩まされたのが「泡」でした。ヨーグルトミックスの中に発生する微細な泡が充填機のタンク内にどんどん溜まり、充填不可能になることも。泡に効果があると言われるものは何でも試しました。振動を加えたり、超音波で試したり…

奥原

液導管を自ら改良してみたり、超音波発生装置メーカーを見学したり、タンクにわざわざのぞき穴を作ってもらって、生産中に確認できるようにしたりしましたよね。

髙玉

でも、穴からは泡が溜まっていくのが見えるだけでしたね(笑)。

奥原

そうそう、常に見張っていなければならないので、製造ラインから離れることもままなりませんでした。

佐藤

営業はそういう苦労がなかなかわからないので、どうしてもっと多く作れないのか!?と厳しい要求をしてくるんですよ。生産には生産の事情があると説明しても、ほとんどわかってもらえないというジレンマが続きました。

奥原

そんな時、泡を抑える原材料があるという情報を、とある展覧会で入手したのです。

佐藤

同じ原材料を社内でも別の製品で使用しているということがわかり、手配してもらうことに。風味が変わる可能性もありましたが、やるしかない!と。

金井

すると、あんなに悩んでいた泡が嘘のように消えたんです!その場で見た全員が「おおお!」と声を上げました。思わず鳥肌が立ちましたね。

髙玉

本当に消えましたよね。心から感動しましたよね。

佐藤

製造ラインの立ち上げから約7か月の長い闘いをしてきました。泡が消えたあの瞬間が、もしかしたら一番うれしい瞬間だったかもしれません。

奥原

結果として原材料によって泡が消えましたが、そこに至るまでの過程でさまざまなことにチャレンジしてきたことが、一気に花開いた感じがしました。後日、社内で改善成果発表会があったのですが、このときの泡への挑戦をテーマに発表を行い、最優秀賞をいただくこともできました。