牧場通信

兵庫県 大内牧場

牧場名 大内牧場
所在地 兵庫県佐用郡佐用町末包656
開設 昭和59年
規模 年間出荷乳量 約600t
飼料畑
牛の頭数 成牛 約60頭 育成牛 約40頭
牛舎 繋ぎ飼い

大内牧場は、兵庫県の西播磨(にしはりま)地区、岡山との県境に接した、佐用町にあります。
標高400mの山頂にあり、霧がかかりやすく、眼下一面が雲海に閉ざされ、幻想的な景観が見られるそうです。

お話を伺ったのは、大内裕文さん(42歳)。
雪印メグミルクの「KOCODA(ココダ:神戸工場コミュニティ酪農部会)」西播酪農部会会長を務める一方、西播ホルスタイン改良同志会会長、日本酪農青年研究連盟西播地方連会長なども務められて公私共にお忙しい毎日を送られています。
経産牛(お産を経験した牛)一頭当たりの年間(305日)平均搾乳量が10,000kgの優良牛群を目指し、奥様と二人でがんばっておられる酪農家さんです。

※牛群検定(305日※2 一日2回搾乳)によるホルスタインの経産牛一頭当たりの全国平均乳量は9,179kg(平成18年度)

※2 一年365日として、乾乳(次のお産へ備えて搾乳をやめ、体を休ませること)を60日と計算。
365-60=305日。年間を305日で計算します。

小学2年で「牛飼いになる」の決意

大内さんの実家は、兵庫県の明石市にあり、明治時代から酪農を営む代々の酪農一家です。大正時代には牛が20頭、牧夫(ぼくふ)も5人いて、手搾りで搾乳していたそうです。
3代目のお父様は、酪農と牛乳販売店を経営されており、大内さんの物心がついた頃には、牛舎に50頭の牛がいました。
小さい時から牛舎が遊び場で、小学2年生、8才の時の作文に「牛飼いになる」と書いたそうです。
「今、その通りの人生を歩んでいます(笑)」と大内さん。

4人兄弟の三番目ですが、迷うことなく酪農家への道を歩みはじめました。
中学3年生から高校3年生まで、毎年、春・夏・冬休みごとに、北海道や千葉など各地の有名な牧場でアルバイトをしながら、酪農現場を見て廻り勉強したそうです。
大内さんが憧れていたのは、北海道の広大な大地での酪農。
北海道の帯広で酪農をすることを真剣に考えていたとのこと。

たった一人の出発(たびだち)

大内さんは、高校卒業後、北海道での酪農を希望していたのですが、お父様が、お兄さんのために、ここ佐用町に兵庫県農村整備公社が整備した牧場を買ってくれていました。しかし、お兄さんが大学進学を希望されたため、次男の裕文さんがここで就農することになります。
明石市の実家には、高速道路を使っても2時間以上かかります。

若干18歳にして、誰も知らない山間の地で、たった一人と牛たちとの酪農がスタートします。
とても心細かったのでないかと思いますが、子供のころからの「牛飼いになる」という信念が実現し、希望と自信に満ちたスタートだったそうです。

実家から、優良な種雄牛を種付けをして産まれた乳牛10頭と、北海道から初妊牛10頭を引き連れての新天地でした。
ちなみに、実家からの牛は、学生のころ家業を手伝ったアルバイト賃の見返りに、自ら優良な種雄牛を種付けして産まれてきた牛を、いただいてきたそうです。

「最初の4年間が一番大変やった」と大内さん。
一日2回の搾乳、餌作り、餌やり、糞尿の処理、牛舎の清掃、堆肥作りと毎日が目の回るような忙しさです。しかも酪農は生き物が相手、365日休みなしで、風邪もひけない状況の中、がむしゃらに働き続けたそうです。
酪農が軌道に乗り始めた就業4年目の平成元年に容子さんと結婚。牛舎の隣に家族で住み、従業員も雇い、乳牛の改良を積極的に進めた結果、一頭当たり年間(305日)平均乳量が11,000kgの優れた牛群を育て上げ、順風満帆の酪農経営でした。が、しかし・・・。

危機をのりこえて

牛のデータを記入したボード

平成4年に体調がおもわしくなくて、病院で診てもらったら、肝炎と診断されました。翌年牧場で立ち上がれなくなり、牛舎で倒れてしまいます。
入院生活を余儀なくされることに・・・。
緊急事態の発生です。
このころは酪農ヘルパー制度を立ち上げる直前で、公私共に超多忙な時期でした。奥さんは、3歳と2歳のお子さんの面倒を見なければならず、しかも、第3子を妊娠中。
3ヶ月の入院中は、充分に牛の面倒を見てあげることができず、もちろん種付けも出来ず、せっかく11,000kgになった経産牛一頭当たりの年間(305日)平均乳量も大幅に落ち込むことに。
「カミさんは、(搾乳のために)牛の腹の下に入ったこともなかったけど、一日半で搾乳できるようになった。近所の肥育農家(肉牛は餌やりの昼間だけの作業)の従業員が、朝夕の搾乳を手伝いに来てくれて、なんとか乗り切れた。本当に大変だった。」
更に、平成17年には、突然、乳質が悪化。原因がわかるまでの7日間出荷できなくなる。さらに、間の悪いことに台風による停電のため搾乳できなくなるなど、計10日間の出荷停止というダブルパンチ。

それでも、危機を乗り越えて、大内さんは、良い品質の生乳を生産するためにいろいろな努力を重ねていきました。
畜産協会のアドバイスをもらって、一日6回給餌する自動給餌機の導入で、省力化を図ったのもその一環です。現在、10,000kg乳量の牛群まで、あと少しというところまで漕ぎつけました。

ラジオで情報収集

大内牧場では、牛舎に音楽を流しています。
「牛も人間と同じで、クラシックなどゆったりする音楽が流れていると、ストレスを減らして過ごせるね。牛は音に凄く敏感だよ。」
牛の乳量アップにもつながるストレス軽減のため、カセットテープで、オルゴールなどの音楽を流していた時もあったそうです。
「今はFMラジオを、朝5時過ぎから家に帰るまで牛舎に流しているよ。
落雷などの停電で、自動給餌機のデータが消えてしまったりするから、ニュースや天気予報など情報が欲しくて、ラジオを流しているよ」とのこと。

家族で楽しく酪農を

「病気は完治するのに5年かかった。
今では、健康に気を使うようになり、お酒も控えめにしている。」
現在は、奥様が会社勤めを辞められたので、夫婦二人での酪農です。
平日は奥様がサポート。土日はアルバイトや、酪農ヘルパー制度も利用し、休養をとるようにしているとのこと。
「家族と旅行に行くことが楽しみ」と大内さん。
子供の学校のこともあり、山を下り、町なかに住居を新築。牧場へは毎日「通勤」して、仕事のメリハリを大切にしているそうです。
「病気になって、生き方が少し変わったような気がする。がむしゃらに無茶を承知で仕事をしてきたけど、もっと楽しく仕事をしたいと思った。好きな仕事をやっているんだから・・・。」と大内さん。

夢は、「牛を見ながら食事が出来る牧場」

「牧場と、レストランやチーズなどの直売所があるアミューズメントが複合している施設を作るのが夢かなぁ。ここ佐用の山の上だと無理やけど(笑)」
現在、長女がパティシェを目指して学校で勉強中。毎日、おいしいお菓子を作ってくれるそうです。
長男は、播磨農業高校で畜産の勉強中。
「子供が全員大きくなった頃、あと5〜10年したら、長女のお店が隣にある牧場を作れるところへ移ることも考えるかもしれない」と楽しそうに語ってくれました。
家族全員の夢に向かって一歩一歩準備を進める大内家です。

編集後記

大変お忙しい中、取材へご協力いただき本当にありがとうございました。
経産牛一頭当たり年間(305日)平均乳量が10,000kgの牛群にすることや、安定した乳質を維持し続けることは、とても大変なことです。病気や災害にも負けず、苦しい時こそ前向きに、酪農を続ける大内さん。きっとご家族の協力で夢の牧場建設も近いことと思います。5代、6代目と酪農を引き継いでいってほしいと思いました。
大内牧場の生乳は、雪印メグミルク神戸工場に運ばれて、厳しい製造管理のもと、おいしい「雪印メグミルク牛乳」として皆様にお届けしています。

追)佐用町の名物に、「ホルモン焼うどん」があります。大量の牛ホルモン(内臓)とうどん、野菜を鉄板で焼いたとてもワイルドな料理でした。小さな町ですが、数店が味を競い合っているそうです。お昼ごはんのサラリーマンや近所の人たちで満員でした。初めてのチャレンジでしたが、癖になりそうなお味でした。

(2007年11月)

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