「日本人にとっての、おいしいチーズを求めて」第三回

~チーズとともに歩んできた人たちへのインタビュー~

第三回 田中穂積さん(元・雪印メグミルク株式会社 チーズ研究所所長、現・チェスコ株式会社技術顧問)

Profile:1975年に新潟大学農学部を卒業し、雪印乳業株式会社(当時)に入社。以来、技術者としてプロセスチーズ及びナチュラルチーズの製造、研究・開発に従事する。1987年に発売された『とろけるスライス』の開発に携わり、大ヒット商品となる。2004年から8年間にわたり「雪印メグミルク チーズ研究所」の所長を務め、日本人の口に合う“国産ナチュラルチーズ”の研究開発に専心する。2012年、チェスコ株式会社の技術顧問となり、後進の指導に当たりながら、チーズに関する講演などを手掛け、ALL JAPANナチュラルチーズコンテスト審査員を務める。

豪州関係企業や、チェスコ社で海外のチーズを学ぶ

チーズ研究所でナチュラルチーズ製造を学んだ後、1991年からは国際部に移動となり、豪州関係企業(白カビチーズの生産会社)での事業支援に携わりながら、ソフト系チーズ製造を学ぶことができました。その後1998年に、グループ会社であるチェスコ株式会社で、欧州産ナチュラルチーズの輸入業務に携わりながら、本場の各種ナチュラルチーズの“おいしさ”を学ぶことができました。この10年間の経験は、いまも貴重な財産となっています。

チーズ研究所長として、再び小淵沢へ

チーズ研究所のある小淵沢は自然が豊かであり、地元出身の職員も多くアットホームな雰囲気の中で、チーズの研究・開発に没頭できることから「いつかまた小淵沢に戻ってチーズを作りたい」と願っており、2004年にチーズ研究所の所長として再び小淵沢へ戻ることができました。
チーズ研究所は1980年に「さけるチーズ(当時の名称はストリングチーズ)」という大ヒット商品を開発した所で、発売後も同研究所ではその研究を継続し、まさに「さけるチーズ」を“日本人の嗜好に合ったナチュラルチーズ”に仕上げています。また、「チーズファーム」シリーズの開発などで蓄積した技術の継承や改良に取り組み“日本人のためのナチュラルチーズ”を職員とともに追い求めた、忙しくも幸せな小淵沢の8年間でした。

さけるチーズ

戦後、チーズ消費を牽引してきたプロセスチーズ、ナチュラルチーズ

戦後のチーズ消費の推移

図1に、戦後から現在までのチーズの消費量の推移を示しました。戦後は、食の洋風化の中で、まずプロセスチーズが牽引してチーズ消費量を拡大してきました。ナチュラルチーズも1980年代後半からのピザブーム、ワインブームなどによりチーズ消費量を急激に伸ばし、1993年度にはナチュラルチーズの消費量がプロセスチーズを上回っています。しかし、プロセスチーズの消費量も決して落ち込んでいるわけではありません。これは、ユーザーや消費者が、簡便性の高いプロセスチーズを利用しながらも、ナチュラルチーズの持つおいしさ(風味・食感)に目覚め、特性(長所・短所)を認知・容認して、ナチュラルチーズを利用しているものと考えられます。その結果として、2016年度のわが国のチーズ消費量は年間32万トンに達しています。

個性豊かなナチュラルチーズが全国各地で生まれている

このような背景の中、国内でもナチュラルチーズを作る工房(含む会社)がどんどん増えています。図2の円グラフに、2016年の地域別チーズ生産者数を示しました。生産者の所在地はやはり北海道が多いのですが、東北地域から九州地域・沖縄までまんべんなくできています。沖縄では山羊のミルクが使われるなど、地域それぞれの特有の素材を活かしたチーズ作りが行われており、個性豊かなチーズが全国各地で生まれているのです。
各地域の工房で作られたおいしいチーズが、着実に地元でファンを作り、地元の食生活に取り入れられ、日本各地で独自のチーズ文化が根づいていくことは嬉しいことですね。日本のどこに行ってもおいしい地酒に出会えるように、地場のナチュラルチーズが旅先の“おみやげ”になりつつあります。酒蔵巡りならぬ「チーズ工房巡り」が楽しめる日が来るのも、もう近い未来かもしれませんね。

2016年 地域別チーズ生産者数
フランスチーズ鑑評騎士の会 叙任式

※この記事は、2017年6月に実施したインタビューをもとに執筆しています。登場する会社名・固有名詞は田中穂積さんのお話に基づいて掲載しております。

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